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第6号配信「偽メール問題と政治の基礎基本について」(2006.4.17)
4月14日(金)朝、21世紀臨調幹事会は、経済界、労働界、知事、市長、学者、報道関係者、弁護士など各界有志約60名とともに緊急懇談会「マニフェスト以前の政党、政治家のあり方について語り合う集い」を開催し、偽メールに揺れた日本政治の現状について意見交換を行いました。

日本政治に不毛な数ヶ月をもたらした一連の騒動は、日本の政党のマネジメント能力の「未熟さ」や「ひ弱さ」、所属議員に対する品質管理の「甘さ」、個々の政治家の言動の「お粗末さ」と「軽さ」を国民に印象付けました。

それは、民主党という政党の失敗を超えて、政権交代可能な姿へと歩んできた日本政治そのものに大きな傷を負わせました。政権交代を望んでいる顕在的な支持者ほど、今回の民主党騒動には厳しい批判を浴びせたのではないかと思います。

声明文を紹介する佐々木毅21世紀臨調代表

今回の一連の騒動が国民に突きつけたものは、政策やマニフェスト『以前』の政党の組織風土や体質に関わる問題あり、個々の政治家が政党政治の営みをどのようなものとして認識しているかといった政治の基礎基本に関わる問題です。私たちが、14日に開催した緊急懇談会の名称を「マニフェスト以前」としたのも、そうした問題意識からでした。

21世紀臨調代表の佐々木毅先生が東京新聞のコラム(3月12日、4月9日)に書かれていますが、政党政治は集団政治であり、目的を共有する集団が一つのチームとなって、複雑な現実に発する諸課題を着実にできるかぎり合理的に処理していこうとする地道な営みの積み重ねです。

長年、政治改革が目的としてきた「政権交代可能な政治」の実現もこの延長線上にあるのであって、政治に偶然性がつきまとうことは避けられないにしても、いわゆる「一発主義」や「センセーショナリズム」はおよそ無縁であるばかりか、有害でさえあります。私たちがマニフェスト(政権公約)の必要性を説いたのもそうした観点からでした。

政党は、内部のメンバーがお互いに切磋琢磨し、教育し合うことによって集団の力を向上させていくべき組織です。政党が、政策には詳しいけれども政治的な判断能力に乏しい単なる「政策人」の寄せ集めにすぎなかったり、「一発主義」や「出たとこ勝負」の体質からなかなか抜け出せないのであれば、小選挙区制やマニフェストは宝の持ち腐れになりかねません。

問題は、政治家を、したたかで、紀律のある、強靭な集団へとまとめあげていく政党の教育力です。代表の首を任期途中に何度もすげ替えながら「お手並み拝見」を決め込むのが民主党病ですが、民主党もこの教育力と正面から向き合わないかぎり、たとえ代表を何人交代させたとしても、成熟した「大人の政党」に脱皮できるとは思えません。

北川正恭21世紀臨調共同代表 西尾勝21世紀臨調共同代表

政治とマスメディアの関係についても、改めて考えさせられます。

スリルに満ちた「出たとこ勝負」型の政治を追い求め、政治家がこれに呼応するかのような風潮。政治家をあたかも芸能人のごとく扱い、興味本位に面白おかしく茶化しながら短いサイクルで次々を使い捨て、「消費」していくかのような風潮が、政党の地道な活動をさらに困難なものにしています。

上げたり下げたりしながら、政治をパクパクと食い散らかす時代。政党、政治家がそうした風潮と無自覚、無原則に付き合うことと、政党、政治家が国民にその説明責任を果たすこととはおよそ別次元の話であるということに、そろそろ気づかねばなりません。

政権交代が根付いていない日本社会にあって、政権を担いうる「野党」を育てるという試みは大変な労力と手間隙のかかる本当に忍耐強い作業です。そのための近道や「青い鳥」など存在しないことは、この10数年の政党の歴史を振り返れば明らかです。

14日の緊急懇談会では、こうした政治の現状に対する21世紀臨調幹事会の問題意識をとりまとめた声明文「政党は政治をどう守るのか〜マニフェスト『以前』問題を問う」が佐々木毅先生から紹介されました。

池田守男資生堂会長(21世紀臨調副代表) 木剛連合会長(臨調特別顧問)

幹事会がまとめた声明文は、すべての政党、政治家、マスメディアを含む関係者の方々、そして国民一人ひとりに改めて考えていただきたいという思いを込めて、質問形式で書かれています。幹事会からの質問は4つ。抽象的な文章ですが、短いものなのでそのままご紹介しておきます。

1. 政党政治は集団である政党を主体とする政治であるが、政党が候補者を集め、選挙を行うことは当然として、それ以外に集団としての凝集性を高め、涵養していくどのような方策を採っているのか。およそ政党が一つの主体であろうとする限り、その構成員を教育し、それを通して一定の紀律化をはからなければならないが、それはどう行われているのか。政治のこれまでの経験はどのように継承され、蓄積されていっているのか。一言で言えば、政党はメンバーの品質管理と政治的英知のストック化という問題をそもそもどう考えているのか。

2. 政党活動を密室で行うわけには行かず、説明責任を果たすことへの要望がますます高まり、一部にはポピュリズム現象を指摘する見解もある。こうした中で、政治家たちが「どのように」それを果たすかについて政党として何かルールが設けられているのか。それとも事態を全く放置し、成り行き任せにしているのか。それを果たす一つの場としての政治家のメデイア等への登場について何か政党としてのルールがあるのか。各政治家たちはそうした場での発言についてどのような責任を負っているのか。

3. 政治を「面白いもの」として印象付ける試みが政治の周辺を含めますます活発化している。政治をこうした形で「消費」の対象とする動きに対して政党はどのように対処するつもりか。こうした動きと説明責任を果たすことと同じなのか、それとも違うのか。こうした傾向に対してどう政治と政治家を守るのか、守るとすればどのような処方箋があるのか。そもそも政治という活動は俗な意味で「面白いもの」なのか。政治をどのようなものと考え、それをどう社会に対して発信するつもりなのか。

4. これらの諸点に与党は政権の運用という日常活動を通してそれなりに対応しているように見える一方、野党はこうした枠組みなしにいわば自由に活動することになるが、しかし、与党以上に徹底した創意工夫をこらすことなしには政権交代は望むべくもない。野党は自らの役割と任務をそもそもどのように設定し、それを実行に移す態勢をどう整備するのか。党首を頻繁に代えることで済むような話でないとすれば、どのような仕組みや制度が与党以上に政党としての凝集性を高め、単なる政策人の集まりを超えた政党経営のノウハウを蓄積する上で不可欠であろうか。

麻生渡全国知事会長(21世紀臨調運営委員) 橋本五郎読売新聞編集委員(21世紀臨調運営委員)

質問形式ですが内容は檄文です。幹事会の思いというか、熱がお分かりいただけると思います。誰のためでも、どの政党のためでもなく、ただひたすら日本政治の改革を10数年追い求めてきた私たちの「もどかしい思い」をご理解いただければと思います。

政治を批判の対象として一方的に客体化し、あげつらうような姿勢に私たちはくみしません。私たちは、この政治の現状は私たち自身の問題として共有すべきであると考えます。


                                 (前田 和敬)



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