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  地方政府の確立へ     (2005/8/5)
私は2003年4月に知事を退任したが、その年の9月に全国知事会会長選が初めて公選で行なわれ梶原知事(当時岐阜県知事)が就任した。その頃から知事会・首長が非常に面白い存在になってきた。梶原氏は「闘う知事会」を標榜し地方側からの補助金返還運動や三位一体改革を進めていった。今までの知事会は全会一致で物事を決めてきた訳だが、これは議論を一番低いところに合わせる、言わば談合に等しく何も改革はしないことではなかったか。そこに梶原氏は多数決を持ち込むことによって改革を行なった。
今年の2月には梶原会長の辞任に伴い会長選挙が行われ、初めて2名の立候補者が政策を主張して選挙を行った。この流れが出来たことは画期的であり、今後マニフェストを掲げて国民の前で討論会を行って会長を選出するところまでいってほしい。

知事会、あるいは首長の改革が注目され始めた背景には、2000年に施行された地方分権一括法によって国の下請け機関から、国と地方が対等協力の関係に法律上、位置付けられたことが大きい。地方自治体は中央集権下では国の出先機関としての「地方公共団体」と位置づけられ、一度も「地方政府」と呼ばれたことがないのである。首長が国の出張所長から経営者になるためには補助金行政から脱却をしなければ真の「地方政府」になることが出来ない、このことを気づかせたのがマニフェストであった。首長がマニフェストを書こうと思っても国に財源を握られていては数値目標、財源を明記したマニフェストは書けない。すなわち補助金に縛られて自己決定・自己責任を取れないということである。そこでまず行動を起こしたのが21世紀臨調のメンバーである6名の知事であった。補助金全てを調査し、11兆4千億の補助金の内9兆円を地方に移譲すべきとする私案を発表し補助金返還の流れをつくっていった。補助金をうまく獲得できる首長が名首長であったパラダイムから首長自ら補助金を返還する運動を起こしたことは「地方政府」確立への第一歩である。

首長がマニフェストによって住民と直接契約を交わすことで、今度は議会のレゾンデートルが問われることになる。今までの中央集権体制では、多くの議会が首長と共に国に予算や補助金をもらいに行く事が仕事となっており議会は首長追認型になっていた。また、中央政党の集票機関になっていたことも否めない事実である。政治・行政が分権化される中で、政党自体も分権していくことになるだろう。今後、議会は首長のマニフェストをチェックすることだけでなく、本来の議会の仕事である立法府の役目を理解し議員提案条例が頻繁に出てくる風土が出来てくれば「地方公共団体」から「地方政府」と呼べるものになるであろう。
■北川正恭  略 歴■
1944年生まれ。1967年早稲田大学第一商学部卒業。1972年三重県議会議員当選(3期連続)、1983年衆議院議員当選(4期連続)。任期中、文部政務次官を務める。1995年、三重県知事当選(2期連続)。「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改革を進める「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。2期務め、2003年4月に退任。現在、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)代表。

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